2007年05月 のアーカイブ

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心象

大分合同新聞に、
長谷目源太氏が同人の
「心象172号」の紹介が、
出ていました。

詩に対する情熱が、
代表の小野操一氏に、
電話をしました。

長谷目源太氏が、心象を
書店にもって行ってくれて
購入することが、出来ました。

長谷目源太氏や小野操一氏の詩は、勿論。
小野操一氏のあとがき。
季節感
「とにかく、不確実な日々が、いたずらに、経過して
いるのだろう。
 曖昧な、季節感でもある。」
冬と夏が長く、春と秋が短くなったこの国の
季節を、シビアーに表現している
素晴らしい文章でした。
また
井手口良一氏の
『地蔵とタンポポ』にも、
大変感激しました。

「タンポポたちはさらに声を高めて
 けらけらと笑い
 地蔵はにこりともしない     」

お地蔵さんは、城たいが氏の
詩書絵?と、オーバーラップします。
城氏が描くお地蔵さんは、
にこやかな笑みを、浮かべていますが。

詩については、私も
もっと魂を文字に刻んで刻んで
深淵な詩?を、
書こうと思いました。
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大分合同新聞に

昨日、大分合同新聞に、
私のブログの中にもある
「詩2007」の『桜の道』が、
掲載させて頂きました。

4月始めに、投稿させて頂いた詩が、
新聞の800字を、使わせて
頂きました。

『桜の道』を書くときは、
とても純粋な私に、久しぶりに
出会いました。

だから、投稿させて頂きました。


口ぐせ

『自分の弱さを知って
強くなる』

モウマンタイ
『注意されても、いいじゃないの!
改めれば、いいんだから☆

点数、人と較べたくなるよね。
自分が、頑張ったかが、大切。

部活で、アルバイトで、
忙しいよね。

授業中、寝ていなかった?』

詩心を、いつも

土曜、美輪姉?の8月のコンサートの
チケット売り出しました。
11時頃に、ローソンに行ったら
急遽?売り出した?立ち見を!やっと
2枚買いました(買えて、よかった)

土曜「オーラの泉」に、柔道の古賀氏が
話していました。
我が校の式典の時に、講演した時より
トークの腕が?(口が)上がった!

詩のボクシング『ワークショップin佐賀』の詳細
6/24(日)2:00?5:00佐賀市アバンセOA講習室
TEL0952-26-0011
料金は当日。学生500円、一般1000円
朗読指導受講者(表現が古い?)1500円
朗読指導受講者は、少なくとも1?2編の
詩を用意して、持参してくだい。

湯布院ゆのつぼ温泉

湯布院ゆのつぼ温泉に、行ってきました。
無色透明で、無味無臭のアルカリ単純泉。
適温で、子宝のゆとしても知られています。
協力金、一人200円払って入りました。
湯船はひとつですが、結構広く、
平成7年にリニューアルされただけあって、
結構綺麗でした。

湯の坪川を見ながら、風呂上りに飲んだジュースは、
とっても、グッドでした。

その後、久しぶりに湯布院の街を散策。
「犬の店」「猫の店」などなど。

一休みに入った「茅」で飲んだ
「クリームソーダ」、かみさんが飲んだ
「コーヒー」も、とっても美味しかった。


最後に、入った「詩の館」で、
心の詩人、城たいが氏の作品に、
出会いました。

「嘆き悲しむ一日よりも
明るく笑って喜ぶ一日」
書の下で、お地蔵さんが二人?
笑っています。(城たいが氏の作品)

4点買って、帰りました。

久しぶりの湯布院散策は、
心も体もリフレッシュ出来て、
印象に残るものに、なりました。

「むちゃごろう」大先生、ありがとう★

PTA総会とクラス懇談会は、
無事に?終わりました。

懇談会の最後に、
新しく出来た「工業の実習場」を、
(大変優れている(大変整理されている)と自負してます)
見学して頂きました。

丁度「むちゃごろう」(詩ボク僕2005,2006を見られてください)先生が、
作業をしていて、
おかあさん方に、本校の工業の特色である
『ものづくり』について、
「介護用電動ベッド」「歩行器」「廃油ボイラー」
「缶つぶし器」などの製作品を通して、
懇切丁寧に!
そして「綾小路きみまろ」さんの様なトーク?で
説明して頂きました。

おかあさん方は、大変感心して♪
帰りました。

「むちゃごろう」大先生!ありがとう☆

(「むちゃごろう」大先生の詩を、近い内に
また書かせていただこう(誰にことわって?)と、
思います*こう、御期待)

詩のボクシング「ワークショップin佐賀」

私と一緒に?SAGAに行きませんか?
[概要]
「詩のボクシング」ワークショップ in佐賀
2007年6月24日(日)14:00?

「詩のボクシング」徹底指導講座!
伝えるために何が必要なのか?

佐賀、福岡、大分、熊本、長崎にお住まいの方も参加できます。

講師:楠かつのり氏
(詩のボクシング代表、映像詩人、谷川俊太郎氏の弟子)

アバンセホール 佐賀市天神3-15-18 TEL.0952-26-0011
主催:佐賀大会実行委員会
TEL.0952-25-1090 FAX.0952-32-3970(上原)
[詩のボクシング公式ページより引用(勝手にすみません)]

私と、一緒に行ける人は5月末日までに、
コメントしてください。
大型免許あり。血液型もO型 (なんのこっちゃ)


交通が不便べんべんべん

今日は、、妻が北九州に早朝までに
行かなければいけなっかたので、
夜中2:30に起きて、大分駅まで
送りました。
宮崎を12時前に発って、大分駅で
1時間位停車して、
(宮崎からの人は、ごろんと寝てました)
3:55大分を発って、
北九州に、6時前に着く列車です。

宮崎から大分から北九州
線路は単線です。
高速道路も、少しの区間だけです。

都会から大分へは、交通の便が悪いけど、
宮崎は、もっと不便だと思います。

妻を送って、帰宅して
出勤までの2時間寝ようと思ったら、
「ニャーオ」「ニャーオ」「ニャーオ」です。

授業は、たくさんあるは
エロ君などのテストの成績を書かんと
いかんかったり、
明日のPTAの資料作ったり

今日も、貧乏暇なし。
最近、頻尿、ひっきりなし。

「ニャーオ」

テストの感想

今日、我が高校の中間テストが終わった。
僕の科目「インテリア」のテストは、今日の1時間目だった。
テスト中の教員の勤務時間は、3時半迄なので、
5時前には、帰宅した。
(3時半に帰る先生は少ないけど、進路の係をしている私に
来客が多くて、学校では落ち着いてデスクワークが、出来ない)

学校で、1クラス○付けして、帰宅後2クラス○付けをした。
樹木や、のこぎり、かんな の名称を覚えるテストなので、
勉強したか、どうか?が、点に正直に?表れている。

テストの最後に、授業の感想を書かせたら、
「自分達人間は、木によって生かされているのではと思う。
根は、地震などでおこる土砂崩れも、防いでくれる。(中略)
その木のことについて、インテリアの授業を通し、これからも
もっと勉強していこうと思う」

『大変よく考えている!素晴らしい!!』

「先生の授業は、いつも面白くて、とてもわかりやすい。
インテリアの授業が来たら、ヤッター!と
心の中で、叫んでいます」

『教師になって、よかった!涙が出てきます。
(たとえ、ヨイショ?の感想でも)』

こんな感想もあった。
「(前略)インテリアの授業の中で、○○先生が、
自分よりもエロスだということも、忘れないようにしたいです」

『あほか!忘れろ!』

『22歳の別れ』『十三夜』『かぐや姫』

「22歳の別れ」見に行きました。
とっても綺麗な絵でした。
とっても、人生を考えさせられました。

個人的には「なごり雪」の方が、
感動しましたが。

大分に住んで、今年で29年になります。
正やんが、大分県の津久見出身なの、知っていますよね。
大分三部作のラストは?
僕は「正やんが作った曲」で、一番好きなのは
イルカが歌う「あの頃の二人は♪」です。

大分には、かぐや姫の「こうせつ おいちゃん」や、
初代、かぐや姫の「大嶋さんぺい」さんや
「森 進一郎」さんも、います。

森さんのお店「十三夜」は、
大分駅から5分のライブスポットです。
森さんが、「かぐや姫」の歌は勿論、
心に響く歌を唄ってくれます。

「大嶋さんぺい さんのブログ」も
「こうせつ おいちゃん」の
お兄さん(実家の寺を継いだ)が
唄ってる写真が、あったり!
とっても、楽しいです☆

少し前に「さんぺい さんのブログ」に
アクセス?しました。

マザーテレサ

ブログ作ったことが、嬉しくて!
ネタ帳の様になってしまって、
失礼しました。

昨夜は熟睡出来ず、
今日は、ローテンション?です。

今日から、我が校は中間テストが
始まりました。
一日目から、監督3連発。
2時間目の自習監督。
山口のザビエル記念聖堂のアゴラで買った
「マザーテレサの言葉」を
読んでいました。

高価な服を着ている婦人が、
マザーの言葉を素直に聞いて、
買う服は安価なものにして、
差額を寄付して、
驕りが無くなる。

マザーテレサは言います。
「イエス様は、いつもそばにいらっしゃる」

私は、カトリックではありませんが、
優しい気持ちに、なります。

体の不自由な人に対して、
マザーテレサは言います。
「あなたの世話をすることで、
イエス様は、いろいろなことに気づかせてくれる。
ありがとう」

感謝の気持ちを、いつも
持っていたいものです。


Wじゃ、シングル?

恥ずかしながら(昔のフレーズ?)
妻とは、とっても仲がいい!
(妻が、仲良くしてくれる☆)

映画やテレビでは、寝室にはWベッド。

我が家の寝室は、シングル ベッド
狭いので?
二つ 並べて!

熟睡、シターイ!

Wベッドでは、夢はシングル ドリーム?
(何の こっちゃ?)

((英単語の綴りに、自信が無くなった(あっほ)))

親父ギャグ男

校内編
「廊下をトオロウカ?」
((トイレに、いっトイレ???))

「ありがトウチャン?さよならカアチャン」
(深い意味は、ございましぇん。
不快な気持ちにさせて、ごめんなさい。
ただトウチャン、カアチャンを並べたくって??)

一般社会?
「お洒落なことを、オッシャレ??」

「箸は 端に置け???」

(こんなことばっか載せて、
調子こきまくって!!!!!
少し?反省してまーす。)

別府

お前の言ってる事は、
いつも「別府の湯」

「ゆう ばっかし!」

妻が、私を生命保険に加入させた。
「とらみ するなよ?」
(保○金、○人するなよ!)
(昭和の時代 とらみさんが、奥さんと
車で別府の海にダイブ!)

(オワッチョ オワッチョ オワッチョチョチョチョ!!!!)

インターネット

ONEクリック TWOクリック THREEクリック
インターネット

万弘寺の市

今日は午前中は、妻とちょっとした用事を済ませ、
昼から、車で10分くらいの所にある
「万弘寺の市」(口に出すのが恥ずかしい?)に、
行ってきた。
「万弘寺の市」は、1400年の伝統を誇る
「物々交換市」が、有名。
夜中なので、見に行ったことはないが、
暗闇の中で、互いの品物を手探りしながら
「時には、騙された!」

僕たちは、ステージやフリマを見たり、
結局、何にも買わずに、近くでラーメン食べて
帰宅。

その後、ブログに写真などを入れたり
(今回も、妻の力を大いに借りた!)
して、過ごす。

週休2日は、公務員さん?大企業さん?

今日は我が校の特色、
資格などの土曜講座の日でした。
私が担当する「危険物取扱い者」は、
もうひとりの先生と交代交代で、授業。
今日は私の担当日で、
午前中、学校に行ってきました。

フジサクさんは、詩のボクシング部を作ったとか
<私は、声が大きい(良い?)からか、
軽く入った吟詠の世界。
今では、
吟詠部の顧問(練習してる部員たったの2名!先生3名)>

Junさんの「文字での表現の勉強」にも、頭が下がります。
<私は、仕事の骨休みに、好きな本を読んだりDVD見たり。
ちなみに?工業科で教えているので
「男子男子男子」「ものづくり、ものづくり、ものづくり」>

私のブログのテンプレートの絵を描かれた
植田さんにも、頭下がります。
「いままで見たことの無い風景が
頭に浮かんで、それに魂が宿って精巧な絵に」
なるなんて!
<私の頭に浮かぶのは、無理やり浮かばせるのは!
ロト6で、4億円(月並ですね)>

若い人達だけど、勉強になります。
この新鮮な驚き、刺激を
これからも、求めて行きます。






創立記念日

今日は創立記念日で、お休み。
マッサージ電話したけど、
予約で一杯!

ネットしてたら、
「今から電話の工事に伺っても、
よろしいでしょうか?!」
『午前中なら、時間あるけど』と
言ってただけ。
予約していない。(家にいて、よかった?)

かみさんの買ってきた弁当を食べて、
夕方、近くの温泉へ。
300円の、極楽極楽☆

明日は、ちょとだけ仕事。
資格の講座の担当。

詩のボクシング山口大会決勝

5/5詩のボクシング山口大会決勝を、妻と観に行きました。サーカス小屋(テント)の中で、山口の選手は勿論、福岡、広島の選手、遠くは京都、奈良の選手まで、決勝に進んだ16名の選手が、詩業(しわざ)を駆使して!熱戦を繰り広げました。
若手詩人ボクサーの高田智史選手、人見叫三選手、岡直樹選手のパワーには、最初ノックダウンされそうになりました。しかし、2回戦3回戦と進むうち、若手詩人ボクサーは息切れ?老獪な「長州山んば」選手とジャブジャブジャブジャブアッパーカットの「織江是々」選手の詩業が
他のボクサーを圧倒し続けました。
「長州山んば」選手と「織江是々」選手の決勝戦、二回戦目の即興詩対決で、お題の「タオル」に鋭い運動神経で反応して、まだ30歳なのに!加齢臭をタオルに染み込ませた「織江是々」選手が、優勝しました。
ビデオを撮って、帰宅後も楽しみましたが、決勝戦は勿論、エキシビジョンマッチの楠代表とフジサク選手の、蝶のように舞い風のように飛ぶ朗読に、大勉強させて頂きました。
「福岡発アジア映画行き」の彼の意見も、大変参考になりました。
みなさん、本当にお疲れ様でした(オツカレチャーン)
追伸。佐賀大会の時は、トンボ帰りだったので、ビジネス取ったことだしと酒宴を密かにもくろんでいましたが、帰られる方が多くて残念でした(酒控えて?詩ボクの練習に励みマース)


斗士騎

斗士騎は流す
涙と汗を
高校野球 夏の全国大会予選
まさかの二回戦敗退

延長に入って守っていたのは
斗士騎達 二年生バッテリー
キャッチャーとしては
小さな斗士騎が
目一杯体を広げて
まもるホームベース

カッキーン
無情にも さよならヒット

ホームベースに もたれるように
うずくまった斗士騎 
ウオーン ウオーン ウオーン

先発した三年のピッチャーが
駆け寄り
斗士騎を 抱き起こす

フェンスによじのぼる
斗士騎の姉
着ているトレーナーの
背中の刺繍は
「我が高の大黒柱 斗士騎」

斗士騎は 坊主頭で真っ黒で
どんぐり眼(まなこ)
僕のクラスの委員長
始業の号令
「きりーつ!気を付け!礼
姿勢を正して めいそう!」

「キャッチャーは
玉覚える頭あるから
斗士騎も頑張れば
勉強できるはず」と
僕は 励ます
「テストの前になったら、忘れる!」と
斗士騎は 真顔で 答える

修学旅行で泊まる
東京のホテルの
部屋割りの時
「5人部屋より3人部屋の方が、
風呂の順番すぐ回ってくるな!」と
言った僕の言葉に
斗士騎は
すぐ反応する
「風呂は クラスみんなで
入るんじゃないの?」

素直に
すぐ 反応する斗士騎
僕のクラスの大黒柱
我が高の大黒柱

斗士騎!
小さな体を
大きな心で カバーして
どんぐり眼(まなこ)を かーっと見開いて
どんな場面でも びくともしない
頑丈な大黒柱に なってくれ!

笠 智衆、北林 谷栄に 祖父母の面影を見る

私は映画をよく観ます。人の生き様を描いた映画に、特に興味を惹かれます。少し前に、BSで小津安二郎監督作品の特集をしていて、友人が「東京物語いいから絶対観て!」って言うので、モノクロ映画にはあまり興味がなっかのたですが、テレビのチャンネルを合わせました。最初はあまりにもゆっくりした感じで、あくびが出そうになりました。しかししばらくたって、不思議と『東京物語』の世界に引き込まれてしまいました。笠智衆さん演じる平山周吉氏に、祖父の思い出を重ねてる私が、いました。『東京物語』は老夫婦(笠智衆、東山千栄子)が、広島県尾道市から長い時間汽車に揺られて子供たちの暮らす東京を旅しますが、迷惑がられて、子供の家を転々とします。「熱海に行って遊んどいで」と二人をもてあましていた子供の言葉に嫌な顔も見せず、喜んで熱海に行ってはみたけれど、旅館は朝まで騒ぐ客ばかりで、ゆっくりと寝ることも出来ないありさま。でも、笠智衆さんは「東京旅行は、よかった。よかった」と言うばかり。
私の祖父(母の父)は、佐賀県杵島郡福富村(現福富町)立福富小学校の校長、定年退職後は村長を務めた人で、子供は男三人女三人の計六人。長男は、長崎の原爆で亡くなり、三女の私の母は東京から大分市、三男(末っ子)は福岡市に住んでいて、後の三人はすぐ近くに住んではいるが、老夫婦二人で暮らしていました。
 私は生まれて四歳まで暮らした佐賀に帰った時は、祖父母の家に泊まり、小学校卒業まで祖父と一緒にお風呂に入っていました。ぬるめのお湯にゆっくり入れてもらって、原爆で亡くなった長男のことなど、昔話をよくしてもらいました。洋一郎叔父さん(長男)は、旧制佐賀高校で秀才の誉れ高く、東大の法科に行くか、長崎大の医科に行くかで悩んだそうです。「東京は空襲が怖いから行くな」という両親の助言で長崎を選んだのですが、運悪く、原爆の犠牲になってしまいました。洋一郎叔父さんの親友は、東大の法科に進み後に警察庁のトップになりました。とても皮肉な運命です。祖父母は、洋一郎叔父さんが亡くなったのは長崎大進学を勧めたのが原因だと、自責の念にかられ、庭に供養塔のようなものを作ったり、洋一郎叔父さんが佐賀高校時代に書いた『葉隠れについての論文』を本にして、親戚知人に差し上げたりしていました。
その祖父は、見た目も性格も?笠智衆さんのような雰囲気で、興奮したり人の悪口を言ってるのを聞いたことが無い位、いつも穏やかでした。食事は健康のために腹八分を、心がけていました。
私の祖母(母の母)のことで思い出されるのは、亡くなる前入院していた頃、見舞いに来た私を見て、私の父と勘違いし「芳包さん、えすか!(佐賀弁で怖い)」とおびえていました。娘の夫とはいえ、性格の強い父に注意されたことが度々あったのか、その記憶が、えすか!という言葉になったようです。そういう印象を持たれた父、その父に間違えられた私。いつ亡くなるか分からない祖母を前に、お互い顔を見合わせて、苦笑するばかりでした。
映画『阿弥陀堂だより』を見た時、暮らしぶりはかなり違いますが、おうめ婆さん(北林谷栄)の声、雰囲気が祖母によく似ているなと思いました。おうめ婆さんの言葉、忘れられません。「畑にはなんでも植えてあります。ナス、キュウリ、トマト、カボチャ、スイカ──  。
そのとき体が欲しがるものを好きなように食べてきました。質素なものばかり食べていたのが長寿につながったとしたら、それはお金がなかったからできたのです。貧乏はありがたいことです」「雪が降ると山と里の境がなくなり、どこも白一色になります。山の奥にある御先祖様たちの住むあの世と、里のこの世の境がなくなって、どちらがどちらだかわからなくなるのが冬です」
貧乏は嫌です。でも自然に恵まれた所で、四季を感じながら穏やかに暮らせたら、質素な生活も苦にはならないかもしれません。
これから私も必ず老いていきます。『私が大好きなお年寄り達の様に、昔をしみじみと振り返りながら、何事にも感謝する』お年寄りになれたらと思います。       

アスファルトが熱かった夏の日 中也に逢いに行った!

アスファルトの照り返しが、車のタイヤを焼き尽くすような夏の日、私は再び『中原中也』に逢いに、車を走らせる。もう三度目。山口市までの遠距離運転であるが、心の渇きがエネルギーになって、ハイウエーを猛スピードで走ることに、全然疲れを感じない。
私が『中原中也』に出逢ったのは、高校ニ年生の頃。それまでの私は、父の期待もあって、学歴偏重主義の申し子のような考えを持ち、受験勉強が唯一の生きてる証しであった。
高校受験の時、父の出身校の某有名私立大学の附属高校を第一志望にした。中学二年生までの勉強は、定期考査の前に一夜漬けする程度だった私が、目標が定まった途端、一分一秒惜しい気持ちが湧き、放課後は小走りに家路を急ぐ毎日を送った。努力の甲斐あって、模擬テストでは、合格圏内に入り、自信をつけて入試に臨んだ。しかし、結果は不合格。滑り止め的な、公立高校に入学することになった。その高校に入学後、第一志望に合格できなかった悔しさから、学歴偏重主義は、ますますひどくなった。今度はもっと上の?大学を目指そうと某有名国立大学を目標に、入学当初から、受験参考書を読みあさっていた。無理をしてたとは思っていなかったが、高校ニ年になって、病気をしてしまい、入院まではしなくてよかったが、自宅療養生活をするはめになった。受験に対する思い(空騒ぎ)の強さに、自ら疲れたというのが、実感であった。空虚な気持ちで、家で気だるい時を過ごしていた頃、父の書斎で目にしたのが、日本詩人全集22中原中也(新潮社発行)であった。
汚れつちまつた悲しみに──
汚れつちまつた悲しみに
今日も小雪の降りかかる
汚れつちまつた悲しみに
今日も風さえ吹きすぎる
(中原中也詩集『山羊の歌』の中から抜粋)
とても悲しい詩であった。
 この詩集を読み中也の生き様を知った私は、私より?挫折感を深く刻みながら、詩を生きてきた中也に傾倒し、中也が教えてくれた詩作に、いつしかのめりこんでいった。とても救われた気がした。
 その後、私は自分の弱さに押しつぶされそうになりながらも、もがきながら生きてきた。
いつしか父の仕事の関係で、海と山に囲まれた土地に住むようになった。この土地の大学を卒業し、工業系の教師になり家庭を築いた。平凡な幸せのために、せまり来る現実に追われる毎日、詩心も失いかけていた。但し、のどの渇きは『せまり来る現実に向きあっていなかった頃。詩作にのめりこんでいた頃』を、欲しがっていた。だからか?山口市の『中原中也記念館』に、車を走らせようと思った。

ホラホラ、これが僕の骨だ、
生きて たときの苦労にみちた
あのけがらはしい肉を破って、
しらじらと雨に洗はれ、
ヌックと出た、骨の尖
(中原中也記念館、幻燈機?『骨』抜粋)
今、私が大好きな詩だ。『僕の骨は、苦労には満ちていない』もうすぐ四八になる私だが、「四八には、とても見えない」と言われる。でも『僕の骨は、四八年間の僕の生きてきた証し』今は孤独ではない。慕ってくる者も多い。

静かです 男は静かな動物です
猛り狂うときは 酒を友とした時
 そして 君を頭がおかしくなるほど
愛した時
日なたぼっこは 男に似合うなあ
 回る縄跳びに 光る風のアクセント
見てる男は あまりにもさわやか
(二二歳の私の詩集『イタズラ事件』より)
アスファルトの照り返しの熱さの中でも、今は優しくなれる。

あの夏の日『宮大工にあこがれた』

今年も、四十名の子供たちが『君らの父ちゃん』の元を巣立っていきました。『君らの父ちゃん』とは、私が勝手に生徒に言ってることですが、四十七歳になった現在、常に父親の気持ちで生徒に接しています。
 但し、お調子者の私ですから、時には「先生、トイレにいっていいですか」「我慢出来ないの」「はい」「仕方ないな。じゃ行ットイレ」などと、親父ギャグを連発しています。
 時代遅れのつまらないギャグですが、生徒は笑ってくれます。ありがたいものです。気分よくして、ますます、ギャグを言いたくなるのは、我ながら困ったものです。生徒は、めがねを掛けて、いかにも真面目そうな私が、くだらないことを言うのが、面白いだけなんだと思いますけど。
今年の子供たちも、この厳しい社会情勢の中、子供たちの努力の甲斐あって、ほぼ目標通りの進路達成を成し遂げました。
子供の進路のことで、今でも記憶に残っていることがあります。それは十一年前、ある子供が是非とも宮大工になりたいと言ってきました。
 宮大工と聞いたとき思い出したのは、『西岡棟梁に弟子入りした小川少年』のことでした。修学旅行で奈良を訪れた小川少年が、西岡棟梁の家まで足を運び、弟子をとる気の無い西岡棟梁に門前払いを受けても、その後も何度も何度も訪れて「何故宮大工になりたいのか。西岡棟梁に弟子入りしたいのか」一生懸命お願いして、やっと弟子入りを許可されたという話です。
宮大工の仕事など、高校に求人がくるわけありません。知り合いの建設会社に聞いたり、ハローワークに聞いたり色んなつてを頼りました。努力の甲斐空しく、宮大工を育てる棟梁を探すことを半ばあきらめていた矢先、ひらめいたのが、文化財の関係機関です。藁をもすがる思いで、電話すると、奈良県桜井市の『瀧川寺社建築』を紹介していただきました。採用してもらえるかまだ分からないのに、涙が出る位、とても感激しました。その後、宮大工になりたいという本人の強い意志が認められて、採用していただきました。
五年前の夏、関西に企業訪問した折、大雨の中ずぶぬれになりながら、初めて『瀧川寺社建築』を訪れました。とても疲れて体は冷え切っていたのですが、高校のときの子供だった安東君がてきぱき働いている姿を見て、疲れは吹っ飛び体の奥から熱くなりました。
この年、久しぶりに是非とも宮大工になりたいという子供がいて、『瀧川寺社建築』で企業体験をさせていただいて、就職試験時には十名受験者がいた中、やる気が認められてこの子供も、採用していただきました。
我が高は県下トップを切って、四月二日に入学式を迎えました。私は久しぶりに、一年生の担任になりました。
入学式のホームルームで「中学のとき、勉強や運動が得意だった人不得意だった人と色々な人がいますが、高校のスタートラインは一緒です。一歩。一歩。共に歩んで行こう」と、心をこめて、話しました。
夢が持ちにくく、平和さえ侵されかねない世の中、楊志館の父として『あの夏の日、宮大工にあこがれて強い意志で実現した二人』の様な、逞しい若者を育てたいと思っています。
     

桜の道

牧駅から護国神社に向かう
いつもの 帰り道
いつもは 気がつかない 風景

今日は ウエディングのアーチの様
今日は 満面の笑みで迎える桜 桜 桜::
市街地から
川を三つ渡った所に住んで 六年経った

何度 この道を通っただろう
仕事で疲れた 体と心を
何度 家路に急がせただろう

毎日 この道を通って帰る私の心は
時には 喜びあふれ
時には 寂しさつのり
時には 憤り激しく

毎日 決して同じではない心とは 違って
成人してから あまり変わっていない風貌
「苦労していないんじゃないの?」
『悩みが 顔に出ないんです』

私の周りは 変わった
時の移ろい そのままに
産まれた 入学した 
卒業した 皺を刻んだ

怖かった 頑固だった
そんな父も
桜が 散った頃
穏やかな優しい顔をして 亡くなった

桜咲く 桜が満開になる
桜散る
人生の時間が 凝縮される

四月八日は 父の三回忌

ひばりヶ丘

 僕が自転車をえっちらとこいで帰ると、友人の良夫の女が、良夫の自慢の七ハンの荷台に、セーラー服のスカートを足首までたらして、横向きにちょこんと座っていました。僕は近眼の眼を思いっきり見開いて、彼女のパーマの髪と瞳の上を塗りつぶしたアイシャドウに、とてつもない違和感を覚えます。
 「コニャニャチワ。今、お帰り。優等生はつらいわねぇ」と、親しみと皮肉を、彼女は僕に浴びせます。僕は「こんにちは」だけで
通り過ぎて、十字路の斜めの角の真っ青なコンクリート瓦と、やけに高いテレビのアンテナだけが目立つ、クリーム色のモルタル造りの自分の家にに、自転車を入れようとしました。すると国道に続く前方の道から、真っ赤なジャンパーのジッパーを締めながら、小走りに駆けてくる良夫の大きな体が迫ってきま

す。僕は驚いて、CB七ハンの前で自転車を止めます。
 「やあ、久しぶりだなあ、最近ご無沙汰じゃないか?勉強忙しいのかい?」
 と、良夫が人懐っこい微笑を満面に浮かべながら、僕に向かって、話かけます。
 「まあな、かったるいんだけど、実力やら期末やらで、ちょっと絞られているんだ。今まで、柔道ばっかやってて、何も勉強してなかったから。大変だよ」
 と、僕はけだるそうに話します。
 僕と良夫は、幼な馴染みです。僕はこの市の公立の小学校に通い、良夫は、教育熱心な良夫の母の勧めで、公立ですが隣の市の小学校に通いました。僕は、小学校卒業後もこの市の公立の中学校を卒業して、都立の普通科高校に通う、平凡な少年時代を送っていました。
良夫はといえば、中学校も高校も都心の私立に通っていました。近所に友達といえば、僕位しかいませんでした。
 お互いが小学校に入学するまでは、お互いの家が百メートルと離れていないこともあって、毎日一緒に遊んでいました。僕の家から道ひとつ隔てた平屋建てでコンクリート作りの都営住宅の広場で、朝から日が暮れるまで缶けりや独楽回しをして、遊んでいました。
 小学校に入学すると、僕らは別々の友達を見つけました。僕は新しくできた友達と、毎日土と戯れ、良夫は通学のために利用するバスの窓越しに眺めるにぎやかな商店街の風景と、毎日戯れていました。
 中学校の頃の良夫のことは、ほとんど知りません。ただ、毎日僕らの市の駅から、ピンクのボディーに真っ赤なラインの入るとんびの顔のような私鉄電車で、山手線の方に出て行っているのを、知っているだけでした。
 小学校中学校の九年間、ほとんど話した事がなかった僕らが、再び付き合うようになったのは、良夫が七ハンを買った時からでした。
 高校二年に進級した四月、ガールフレンドの明子を誘って高校に行こうと、いつものように国道沿いの良夫の家の前を通ると、良夫の家の前にパープルカラーのボディを、朝のシャープな光に照らして、まばゆいばかりにキラキラと輝いているホンダのCB 七ハンの
勇ましい姿を見たのでした。
 僕は一週間程前にこの市の駅前商店街で見た、服は真っ黒な革ジャンとだぼだぼの白のズボンで、髪はサイドにバックさせてパーマまでかけたリーゼントで、ばっちり決めた良夫の姿を思い出していました。七ハンを見たときは、羨望と、僕とは違う世界のことだと隔たりを感じました。
 僕の高校は、東京都の練馬区にある伸び伸びした明るい雰囲気の高校でした。僕がこの高校に入学する数年前までは、同じ都立のA
高校で勃発した学生運動の波が、この静かな
高校にも押し寄せました。学習面は勿論、生活面まで点数付けして生徒を縛っていた高校のやり方に不満な生徒が、教室に先生を入らせないように、扉や窓を机や椅子のバリケードで塞いだと数学の老先生が、昔をしみじみ振り返っていました。僕が入学した頃は、誰もが一体となった激しいものは無くなって、自由な雰囲気だけが、流れていました。
 その高校での僕は、家から二十五分もの道程を、近所に住むガールフレンドの明子を誘って、えっちらこと自転車を漕いで、遅刻寸前に学校に着き、のんべんだらりと授業を受けていました。放課後は、体育館で柔道の練習に汗を流し、疲れた足をだるそうにペダルにかけて、自転車をえっちらこと漕いで、七時ちょっと過ぎて帰宅するという基本的な生活を送っていました。
 いつものように七時をわずか過ぎて帰宅した後、夕飯をおわん三杯食べて、風呂に入って八時過ぎに建て増しした四畳の続き間を控える合計八畳半のただ広い部屋に落ち着きます。さて、明日の英語の予習をしようと、机の前に座って辞書を開いて五つばかり単語を引いていますと、外でオートバイの爆音がして、その後すぐ四,五人の話し声が聞こえて来るではありませんか。
 「自分とは関係ない」と思いつつ、オートバイの爆音に勉強の気が散って少し腹立だしく思い、オートバイに少年らしい興味が湧きました。それで、いつもは夏の蒸し暑い時しかめったに開けたことが無く、特に勉強中はめったに外の景色を見たり、空気を入れ換えたりするために、開けたことがない道路に面する曇りガラスを少し開けて、外を窺いました。
 窓の十五センチの隙間を通して眼に入った光景は、五00CCのオートバイ二台と、見たことのあるホンダの七ハンと、ピンクや赤のジャンパーや、黒の革ジャンを着た僕と同年齢位の四人の少年達でした。
 「僕の家の前で、少年達が今にも爆発しそうなオートバイを止めて、煙草を吸って、何か大声で話している」
 僕はとても不思議な気持ちと、逆に自分と違った種類の人間達を知りたいという気持ちが入り混じって複雑でした。持っていた0.5ミリのシャーペンを、彫刻刀で努力と彫った薄ぼけた机に転がして、彼らを僕が観察している事を気づかれないようにと、窓の隙間を五センチほどになるまで閉めて、彼らを見つめたのでした。
 僕がオートバイに初めて触れたのは、僕の高校の剣道部主将の吉田さんが高校で許されていないのにもかかわらず、高校に乗って来た二ハンでした。放課後、吉田さんから借りた二ハンを柔道部主将の佐藤さんが、高校の玄関前で急発進させて塀に向かって直進。二ハンの全部は大破、塀もへこみ、佐藤さんは受身を取ったので頭は打ちませんでしたが、
右手を強打して骨折。救急車が来るは、部活や補習中の生徒は騒ぐは、先生達は顔青ざめているはで、大変でした。
 吉田さんの他に高校に内緒で、オートバイに乗っている生徒は何人かいます。但し、自転車や徒歩でけだるそうに通学する僕らを横目に、彼らが鼻高々と走らせているバイクは
五0CCのダックスか、せいぜい二ハンでした。
 初めてまじかに見た五00CC以上のオートバイの重たいエンジン音を聞くと、僕は胸が高鳴りました。勉強と柔道以外の事には醒めていた心が、いつしか少しずつ熱くなり、
すぐに下りて、大きなバイクを触ってみたいという気持ちにかられました。しかし、自分と一緒の世界ではない人の前に自分を立たせることは、恥ずかしがり屋で人見知りする僕のこと、とうていかなわぬことと、その思いはすぐに醒めてしましました。
 オートバイへの憧れの気持ちを抱きながら
さっきから気になっていた七ハンの持ち主が
暗くて顔がよく分からないながら、がっちりした体つきと、ワンオクターブ高い話し声から、良夫だと分かりました。
 良夫、小学校は隣の市に越境入学、将来は慶応に行きたいと言っていた。小学校四年生の夏休みに入ってすぐ、良夫の家の前でばったり会った時、一学期の成績は五が四つもあったと自信たっぷりだった良夫。中学校は山の手沿線の私立に行き、角ばった学生帽を目深に被り、濃紺の学ランのボタン代わりのファスナーと詰襟をびしっと閉めて、いかにも優等生らしく胸を張って、日が沈んだ頃、ひばりヶ丘駅から大股で家路に急いでいた良夫
駅前の本屋で、漫画の立ち読みをしていた僕は、そんな自信たっぷりの良夫に声を掛ける勇気がなく、ながめているが精一杯でした。
 その良夫が、高校に進学したら、あんなに
変わったのか。同じ学園の高等部に進学したと、噂で聞いていたのに。ちょっぴり反射神経が鈍い僕よりも、もっと運動神経が鈍くて
お袋さんや親父さんの期待を一心に集めて、
甘えるだけ甘えて、勉強ばっかりしているという噂だった一人っ子の気の弱い良夫。そんな良夫が、いかにも不良の彼らのリーダー的
存在で、免許を取っても乗りこなすのが難しい七ハンを、先頭きって山手線に向けて走らせている姿が、眼に浮かびました。
「おーい!修!降りて来いよ!」と、良夫が自分部屋から彼らを覗いているのに気づき
大きな声で、僕を呼びました。
「やぁ今晩は」僕は気恥ずかしさで、顔を真っ赤にゆがめながら、ぎこちなく彼らに手を振りました。
 「おーい、さっきからこっちを見ていただろう。分かっていたんだぞ。まあ、とにかく
ちょっと降りて来いよ」と、ずーと会っていなかったのに、いつもあっているかのように、優しさのこもった言葉を、良夫は僕に贈ります。
 「うん、わかった」と、僕はそれだけ伝えると、重たい腰を上げて八畳半の細長い部屋を出て、階段を下りました。
台所で母が「さっきからあなたを呼んでいたのは誰なの」と、けげんな顔で、僕に尋ねます。
「うん、友達」と、しかめっ面をして、僕は玄関を出ていこうとします。
「こんなに夜遅く、どこに行くの?」と、母が再び僕に尋ねます。
「いや、ちょっと散歩」と、僕はぶっきらぼうに、母に弁解します。
「あんまり、おかしな人と付き合わないでね」と、外で良夫が待っているのを察しているような母の心配気な声を、背中でひしひしと感じながらも、すばやくサンダル履いて、玄関の外に出ました。
「やあ、久しぶりだなあ」良夫が、にこにこと僕に話しかけます。
「うん、まあな」と僕はぶっきらぼうに、言葉を返します。
「優等生は、勉強が忙しいんだろう?」と、この間までは優等生だった!良夫が、皮肉たっぷりの言葉を僕に浴びせます。
「俺、そんな優等生じゃないよ」
「嘘つけ!中三の頃からお前の部屋は、七時過ぎから電気が灯りっぱなしだって、みんな言ってるぜ」
「電気点いているからって、勉強してるって限らないんだぜ。そんな事より、お前この七ハン手に入れたのか?」
「うん、そうだよ。バイトして半分親から出してもらって、買ったんだ」
「すげえなあ!ちょっと触っていいか?」「いいよ」
「俺、今までこんな大っきいの触ったの
初めてだ。すげえなぁ!」
「そうか、今からこいつらとひとっ走りしようかと言ってたんだ。よかったら、こいつの後ろに乗らないかい?」
「今からかい、どうしようかなあ。興味あるけれど:::。やっぱり、よすよ」
「お袋さんとおやっさんが、うるさいんだろう?」
「そうじゃないけど、明日、柔道の朝練習なんだ!」
「本当かよ、まあいいや。今度、昼間あった
時、乗せてやっからさ」
「うん、頼むよ」
「それじゃあな」
「それじゃ」
「みんな行くぞ」
と言うが早いか、良夫は真っ赤なヘルメット
を被って、アクセルを思い切りふかして、ドドドーと空ぶかしをして、闇に消えて行きました。その後に、二台のオートバイが、続いて爆音を立てて、良夫の後を追いかけて行きました。
 その夜、良夫が夜の闇に向かって牙をむいて、七ハンの上に跨っている姿を、僕は夢の中で見ました。
 翌日、いつものように学生カバンと、柔道着を後ろの荷台に積んだ自転車を、朝の爽やかさに挨拶することも無く、眠たい眼をとろんとさせて、けだるく漕いでいました。途中
僕とは違って陽気な明子を迎えに行って、高校に着きました。
 一時限英語、二時限目世界史、三時限目数学と、のんべんだらりと授業が過ぎて行きます。
 しかし4時限目の現代国語は、いつもと違っていました。いつもは小林秀雄の評論や、
中島敦の山月記を読んで、先生がそれに解説めいたことを言っていました。僕らは「おもしろいなぁ」位の感情しかわかず、深く感銘したり、作品をもっと読もうなんて気にもなれませんでした。先生が黒板に、解説やら段落分けした所の板書する時を見計らって、友達と女のことやらパチンコのことやらを、話している始末でした。しかしその日は、丁度
詩を勉強することになって、萩原朔太郎の「
竹とその哀傷」を読むことになりました。

   竹とその哀傷

   地面の底の病気の顔

 地面の底に顔があらはれ、
 さみしい病人の顔があらわれ。

 地面の底のくらやみに、
 うらうら草の茎が萌えそめ、
 鼠の巣が萌えそめ、
 単にこんがらかっている、
 かずしれぬ髪の毛がふるえ出し、
 冬至のころの、
 さびしい病気の地面から、
 ほぞい青竹の根が生えそめ、
 はえそめ、
 それがじつにあはれふかくみえ、
 けぶれるごとくに視え、
 じつに、じつに、あはれふかげに視え。

 地面の底のくらやみに、 
 さみしい病人の顔があらはれ。

 その頃まで文学オンチだった僕でしたが、この詩の異様な暗さに大変惹きつけられました。冬をまじかに迎えた肌寒いこの時期。やがて冬になれば、自分の顔もこんな風に「さみしい病人の顔」になってしまうのではないかという被害妄想的な、考えも浮かびました
 その日の放課後、いつものように部活を終えて帰宅する際、萩原朔太郎の作品にもっと
触れてみたいという欲求がつのりました。そして帰宅途中にある教育大のグランドの前の
ちっぽけな本屋に入り、久しぶりに参考書以外の本を、買いました。
 三百三十円で手に入れた日本詩人全集十四
の萩原朔太郎の詩集を、翌日が勤労感謝の日で休みであったこともあって、いつもは英語と数学の予習のために向かう机に、朔太郎の詩を、一編一編並べていきました。
 「月に吠える」の全詩集を読み終えた時、
そのすごい感動は勿論でしたが、何故かしら
あの晩見た七ハンに乗る良夫を思い出しました。
 そりゃあ僕だって、さびしい人格です。でも、僕は月には吠えない。僕はあきらめて、
父と母の教育が自然と敷いたレールの上を、
走るだけです。しかし良夫はーーー。
 萩原朔太郎の詩を読んでから、僕は少し文学の方に自分を傾けて、行きました。僕らの頃高校生は、受験一途か適当にロックやフォークもやるか、それとも煙草かシンナー吸って、オートバイ転がして暴走族になるか?それ位しかありませんでした。明るくてそれでいて陰湿で、どんなに一生懸命の輩でも、一日に一回は「かったるい」と、つぶやいたも
のでした。
 こういった雰囲気に呑まれることなく、僕は詩を書くことに熱中しました。受験勉強も一応やっていましたが、常に「みんなと違うんだ!」という強い気持ちで、生活していました。柔道は三年生になると、ぷっつりとやめてしまいました。一時、文芸部を作り、朔太郎のことを教えてくれた国語の若い先生に
顧問になってもらって、朔太郎論や中也論を
高校生活最後の文化祭に、出したりしました
 良夫はといえば、二年生の終わりの寒い季節に、七ハンと彼の女とともに、二、三度見ましたが、三年生になると家にいないのか、彼の七ハンも姿を消してしまいました。
 そして僕も、いい加減、詩ばかり考えたり作ったりすることが、時間的に無理な状況に
なりました。「でる単」や「大学への数学」
に、いやがおうでもつきあわざるおえなくなった十二月中旬、五時に帰宅して少し仮眠して、夕食をとって、風呂に入って、いつものように机に向かっていますと。下の茶の間から大学に行ってる姉が「修!ちょっと下りて
来なさいよ。良夫君がテレビに出ているよ!
」と叫びます。
 え!っと僕は思わず声を出しました。いつもは一回位呼ばれても、「ちょっと待って!
」と勉強のきりがつくまでは、下りて行かないのに、その時ばかりはシャープペンシルを
持つ手が妙にこわばりました。「どうしたんだ?」と困惑して、開いていた「大学への数学」をはったらかして、急いで下りました。
 テレビのブラウン管には、間違いなく真っ赤なジャンパーを着た良夫を含めた七、八人のリーゼントの少年達が、カメラに向かって
愛想を振りまいて、「最高!」と大声を張り上げていました。彼らの周りを走るオートバイや、車体を思いっきり下げて、幅広タイヤを履かせた車を見ても、暴走族の実態の報道であることが、分かりました。
 テレビの字幕には「牛若丸」と出ていました。「牛若丸」という名前は、僕の通う平凡な高校の二ハンライダー達が話していた記憶では、悪名高きレッドエンペラーの弟分で、
山手線沿線を縄張りにしているとのことでした。良夫が少年達の名前を呼び捨てにして、
何かと命じている姿を見て、「良夫がリーダーなんだ!」と、僕は思いました。
「ここずーっと、良夫君のこと見ないな?
と思ったら、やっぱり暴走族だったんだね。
それもリーダーなんてね。お父さんお母さんは、とても心配しているだろうに」と、僕の母がやるせなくて辛いような、言葉を発します。
 僕が「ここはどこ?」と聞くと、姉が「新宿西口よ」と、無愛想に教えてくれました。そして「ひどいもんね。修が、こんな風になっていたら、私、大学で友達に会わせる顔が
ないわ!」と言った後、僕の顔をまじまじと見詰めて、安心しきった溜息をつきます。
「修は、これでも?結構真面目だもの。優しいから、私達が心配するようなことは、しないわよ」と、母も良夫と僕を比べて、「僕へのお願いと自分を安心させたい」そんな思いの言葉を、発します。
 普段は「お前は朝何回言っても、すぐに起きようとしない!」とか「髭も剃らないで、
だらしがないんだから!」と、母は僕の顔を見る度に、ぼやいています。
 僕も普段は「大学受験ラジオ講座」の終了の時間の十二時半になると、途端に眠たくなって、「もう少し勉強しなければ」と思っても睡魔に負けて、歯も磨かないままベッドに
倒れこんでいました。しかしその夜は「ニュースセンター九時」の良夫の顔が忘れられず
ラジオ講座が終わっても、すぐには眠くなりませんでした。それじゃラジオ講座の復習でもしようと思って、空気の入れ替えのために
窓を思いっきり開けると、今日は十五夜だったのか真ん丸い月が、僕を見詰めていました
 真ん丸い月と窓の下の電灯に照らされた路上を見るうちに、さっきのことのように良夫の姿がはっきりと眼の前に浮かびました。
そして、何故かしら瞳に熱いものが、こみあげて来ました。
それを、青春だ!と言ってしまえば、言えなくはないが、溌剌とした青春からは、あまりにも遠過ぎる。慶応に入ると無邪気な顔を
して言ってた良夫が、高校では札付きのワル
というレッテルを貼られている。優しくて穏やかだった良夫が、暴走族のリーダーにまで
なってしまい、一般の道路を我が物顔で走りまくり、交通を滅茶苦茶にしている。これが
青春だ!と思い込み、バイクを飛ばすことだけに存在感を求めている。僕と同世代で、人に迷惑掛けながら生きている良夫達の姿に、
やるせない、とてつもない悲しみを感じました
「さびしい人格の病人が、月に吠えている」
だけなのかもしれないと、僕はその日の日記に、書き記しました。
 その翌日から、僕は完全に、受験だけの人間になりました。それまでは、土曜日の午後は、ガールフレンドの明子と、山手線の方に行って、映画を見たりしていました。僕と同様、受験生の明子も勉強が忙しくなり、お互い放課後は、自室に引きこもって、勉強に勤しむという毎日を送りました。
 僕は最初文学部に進もうと思っていました
そのことを父も姉も早く帰宅して、久しぶりに家族五人が全員そろった夕食のテーブルで
ぽつりともらしました。すると、いつもは温厚な父が、「お前は、文学部なんかに入ってどうするんだ?文学部出たって、まともに飯なんか喰えないんだぞ!」と顔を真っ赤にして、えらい剣幕で、怒られました。
 父に叱責されようと、文学部への思いは募るばかりでいたが、良夫の姿をテレビで見て
から、気持ちが大きく変わりました。文学部に入って、高校の延長のように「さびしい人格をもてあます」ことが、嫌になりました。
そして、父のように公認会計士になることを
決意して、商学部を受験することにしました
 僕にとっては、長くて機械的な冬も終わりに近づいたある日。慶応商学部合格者の中に
僕の受験番号を見つけることが、出来ました
「まさか受かるとは思っていなかったのに、
受かったことは、とてもうれしい。でも、落ちても良かったんだ!俺が慶応に行って、なんになる?」と、僕は日記に記しました。
 高校を卒業してから三年、僕は公認会計士受験のゼミに入り、山手線の内側で適当にナンパもして、学生生活を送っていました。あの日から、僕は良夫の姿を見ることは、もう
ないんだろうなと思っていました。
 しかし、運命ってものは皮肉なものです。
僕が慶応に入って二年目、商学ばかり勉強することに嫌気がさして、文学部の連中と、詩の同人雑誌を作って、自分の気持ちを癒していた頃。再び魂の寂しさを感じ、「人生って何だろう」という気持ちが募り、夜の歌舞伎町を徘徊していた時でした。したたかに酔っ払ってしまって、いつもはかわしている呼び込みに、あっさりと捕まってしまいました。
女を三人もあてがわれて、三、四十分遊んだ後七万五千円と書かれた請求書を、突きつけられました。僕はすぐに酔いが醒めて、逃げ足鋭く階段を駆け下りて、歌舞伎町を走りまくりました。しかし駅前に止まっているタクシーに、後一歩で乗り込もうとしたとき、チンピラ風の男たちに捕まってしまいました。
「この野郎!なめやがって!」と、男たちは
僕をボコボコニにしました。顔を眼鏡が飛ぶほど殴られ、腹を思いっきり蹴られて、血の混ざったゲロを吐いてはいつくばって彼らたちに、ぼんやり視線を向けたとき、僕は良夫の姿を確認しました。
「良夫、良夫じゃないか?」僕は残っている
力を振り絞って、必死に呼びかけました。
「え、修か?」良夫は、目を思いっきりまん丸にして、聞き返しました。
「あー。」僕は気が遠くなりかけながら、最後の力を振り絞って、言葉を返しました。
 その後、気を失ってしまった僕は、七万五千円請求したボッタクリサロンに勤める女の
アパートのベッドで、翌日の昼過ぎまで、眠ってしまいました。ようやくアルコールも抜けて眼覚めた僕は、全身の激しい痛みに涙が出そうになりました。ただし、誰がしてくれたのか包帯やら絆創膏やらで、きちんと治療をしてくれていて、幸いにも顔の出血等は、止まっていました。
 眼が覚めたとき、いかにも女の部屋らしいきちんと整理された部屋を、近眼の瞳で眺めていました。二間続きのアパートのようで、
隣の部屋で煙草を吸いながら、テレビをぼけっと見ているジーパン姿の女に、「ここは、
何処?」と、僕は尋ねました。
「昨夜のことは、憶えているの?」
女は、逆に僕に質問しました。
「あー、新宿でチンピラにボコボコにされたんだ!あーそうだ!良夫はどうしたんだ?」
「やっぱり、憶えていたのね。ここはね。昨夜あなたが入った店に勤めている私の部屋。
ボコボコにしたのは、七万五千円の会計払わなかったあなたが、悪いのよ。もしもこのことを、人にしゃべったり、万一ポリさんの所に駆け込んだりしたら、慶応のアンタは、怖いお兄さんに、将来をガタガタにされちゃうからね。ねぇ、わかった!」
「あー?」
「本当に、約束して頂戴ね。あなたがあんまり意地張って、訴えたりすると、私、とっても見てられないわ。あの人達ったら、自分に都合の悪い人間なら殺しても構わないと、思っているんだから」
「うーん、約束するよ。これ以上、怖い眼に
会うのは嫌だからね」
「それならいいけど。あーそう、七万五千円の支払いは、あなたの体に免じて、もういいからね。はっきり言って、不景気だからって
あの人達、学生さんに、あんな金額突きつけるなんて、滅茶苦茶なんだから」
「その話は、もういいよ。それより、良夫は
どうしたんだ?良夫は、あのお店に勤めているのか?」
「ヨッチャン!そう、あの人はあの店の、サブマネージャーよ。ヨッチャンとは、もう会わない方がいいわよ。ヨッチャンと関わりあってると、あなたやばくなるよ!」
「え、でも、一度会って話しても、いいだろう?俺、高校の時から、あいつの事、気になっていたんだ!あいつ、俺の家の近所にすんでいたんだけど、あいつ、高三の時、家出して、暴走族に入っているのを、テレビで見たのが、最後だったんだ!」
「あなたが、幼馴染に会いたい気持ちは、分かるわ。でもね、ヨッチャンだって、もうあなたと会いたくないと、言ってるし。違う世界の人だと思って、あきらめるのね」
 そう言って、いくら聞いても良夫の住所や
電話番号を、彼女は教えてくれませんでした
「やっぱり、洟垂れ小僧の頃だけの、友達だったんだ!」と、僕は自分に言い聞かせ、彼女のアパートを出て行きました。
 良夫に会おうと思えば、歌舞伎町のあの店に、殴られるの覚悟で、再び行けばよかったのです。しかし、あの夜、したたか酔っていたので、飲み屋だらけの歌舞伎町のどこだったのか?おぼろげな記憶しか思い出せませんでした。歌舞伎町の聞き込みをすれば、よかったのかもしれません。しかし良夫の女が口にした「違う世界の人」という言葉が、頭に
こびりついていました。「会って、どうするんだ?何を話すんだ?」という気持ちも、もたげ、もう会わないことを、決めました。
 その後、新宿に行くことも、ほとんどなく
無くなりました。そして良夫と育った「ひばりヶ丘」から池袋へ、そして慶応のキャンパスへと。勉強とガールフレンドとのセックスに耽る毎日を、過ごしていました。心の渇きにも、鈍感になった頃、僕は慶応を卒業して
ひとり暮らしをするために、「ひばりヶ丘」
を、離れました。

ヒサチュウ

ヒサチュウは
僕の三度目の妻の父親

焼酎好きなヒサオさんを
僕は勝手に ヒサチュウと
呼んでいる

ヒサチュウは
囲碁と 酒と おばさんを
こよなく愛する男
若い娘は 苦手
勤めてる病院の看護士の
目を見ては
話が出来ない

ヒサチュウは
しょっちゅう焼酎飲んでて
飲むたんびに
鉄鋼会社にいた頃の話

「中国から鉄鉱石運んできた船
中国人 上陸する前に
検査で 何回か乗ったんよ
そしたら
煙草みたいだけど
油紙に巻いたようなの
中国人 吸ってて
試しに 俺も吸ってみた
煙草じゃない感じ
くらっとした」

「やばいもんじゃないですか?」
僕は 驚く

ヒサチュウの妻
スミチャンが もっと驚く
『この人は 変なこと言ってから』
ヒサチュウとスミチャンと
妻と僕とで
御飯を食べに行った

夏の暑い日
ヒサチュウは
生ビールを頼む
僕も ヒサチュウと乾杯
飲むと ヒサチュウ
苦手が なくなる
アルバイトの女の子に
ヒサチュウ
「車運転しないから!
心配しないでいいよ」
そして
「お姉さん おかわり!」

『この人は 余計なことを言ってから』
スミチャンは
また大きな目を丸くしてる
 
大胆なヒサチュウも
酒飲んでても
ホルモンは 苦手
「ホルモンは わりい!
下痢する」
強調 する

ヒサチュウとスミチャンは
下町のナポレオン「いいちこ」の会社の
近くに 住んでいる

隣保班だからといって
いいちこ 決して 安くはならないが
「やっぱ 焼酎は いいちこ!」
いつも6本セットを ご購入

「たまには いい酒飲みない!」
もらった いいちこ6本セット
すべて 飲んでしまった僕は
5リットルの
ペットボトルの焼酎に
逆戻り
「また宇佐に行った時
いいちこ飲ましてください
楽しい話を 聞かせてくださーい」

三度目の結婚で
初めて 妻のお父さんと 気が合った

ヒサチュウ!
お腹は 大切に

むちゃごろう

むちゃごろうは
高校工業科の先生で 僕の先輩です
何でも むちゃくちゃに
やってるように思える位
一生懸命な先生を
僕は勝手に むちゃごろうと
呼んでいます

むちゃごろうは 
ものづくりの天才です

【1時間目の授業が始まってすぐに
 料理の油がもったいないと作った
 大きなストーブが
 真っ黒な煙を もくもく上げました

 火災報知機が
 リーーーーーーーン
 まだ早朝八時五十分なのに
 近所の公園まで
 全校生徒が 一目散に
 走って逃げました         】

むちゃごろうの溶接の
技術に感心して
「すごいですね」と言ったら

『子供作れたんだから
 なんでも作れるよぉ』
にやにやしながら 答えました

そばにいた僕も生徒も
笑うに笑えず
頬がピリピリ引きつった

パソコンのキーボードに
サランラップをはるほど
綺麗好きな
むちゃごろうは
学校の清掃の責任者です

早朝からフル回転の
むちゃごろうは 
八時からの職員朝礼から 吠えます

『校内が大変汚れてまーす。
 特にトイレが、とっても、汚れてまーす。
 先生がきちんとついて、掃除させていますか?
 もう少し、学校をきれいにしよう!
 という意識を持って、
 掃除に 取り組んで下さーい        』

悲鳴のような叫びに
眠気も 一気に吹っ飛んでしまいます

むちゃごろうは 昼間も吠えます
生徒を力づくで
職員室まで連れて来て
『こいつ、ズボン下がってたから注意したけど、
 上げようとしない!全然素直じゃない!
 担任誰かい?              』

弁当食べてた僕たちは
おかずを オエオエオエ のどに詰まらせます

むちゃごろうは
フーテンの寅さんを濃くしたような顔で
高校教師には まったく見えません

むちゃごろうの趣味は
何故か?社交ダンスです
大きな四角い顔と短い足で
腰を振り振り
ムード一杯に踊りまくります

こんな むちゃごろうの近くでは
仕事したくなーい!と
いつも 思って
むちゃごろうを避けてた僕ですが

二番目の妻の借金のことで
悩んでる時
一番心配してくれたのは
何故か むちゃごろうです

『お前も
俺とおんなじ道歩んでるなー』
とっても同情されました

むちゃごろう
これからも 僕たちを 目覚めさせてくれ!

樽の中

「一学期の反省と 二学期の目標を書いて
火曜日までに 提出して下さい」
ポマードべったりで
かば と 生徒から呼ばれる
形に残す事が大好きな
校長からの宿題を
思い出すだけで 頭疲れて
宿題 やーめた

いつも学校では
宿題忘れた生徒に
オワッチョ!
言ってる俺が
質問に答えた生徒が
正しい答を言ったとき
スペシャル優秀!
ほめてる俺だけど
二学期の目標は
生徒を愛すること それしか
思いつかない!
結局、明日しよう!
あっさり宿題投―げた

日曜日
重たい心と体で
スーパー銭湯の五右衛門風呂
直径八〇センチの樽の中
不思議と落ち着く 俺がいる

何も思いたくない
身も心も 無になりたい
 
樽の外に 手も足も投げ出した
こんな俺の頭に
『世界は日本には
広すぎる
そして君には
狭すぎる』
一九歳の時書いた詩の
メロディが 何故か よみがえる

樽の中の俺の
真上には
まぶしい青空
どこまでも広がってる

だけどこの俺は
ちっぽけな五右衛門風呂の中
身も心も おさまってる

一九歳の俺は
身も心も
危ないくらい ギラギラしてた

今でも
生徒と一緒にいるときだけは
まぶしい青空まで
飛んで行けそうな俺

書類の山で
同僚の顔も見えない 見たくない
そんな職員室では
身も心も ほこりまみれ

月曜日
授業の合間の十分休み
校内で吸えない煙草
校門の外まで出て行って
足も腰も痛いと ぼやき
生きてることを 確かめる様に
ふーと一服
白い煙の輪の中で
息をしてる俺がいる

剣道場帰りの生徒達
俺へのあいさつ
「先生 煙草おいしい?」
『めっちゃ おいしい!』
「先生、体に悪いで!
先生、オワッチョ」

生徒には 何故か
好かれてるようだ
ありがとう☆

五十歳になったけど
いまだに 根回しがへたな
出世する見込みが 全然ない
オワッチョ先生だけど
やっぱ教師続けよう

樽から 身も心も飛び出して
一学期の反省と二学期の目標を
すらすら書いて
明日
校長に 提出しよう!

バナナでもクッチョケ

木曜日4時間目 工業科3年2組
インテリアの授業
まだ十一時四〇分です

「先生 腹減った!」

『ウルセーバーカ
バナナでもクッチョケ!』

「バナナ?
先生 オワッチョ!」

『アッホ!石川!
授業中に腹減ったと
言ってるお前のほうが
オワリマクッチョルやないか!
チョチョチョチョチョチョチョ
オワッチョ!』
『さてと 114ページ開けて
今日は椅子の構造を
勉強するけど
みんな いいっす?』

シーン

丸ぽちゃで 色白の富田だけは?
真っ赤な顔して
歯の矯正の針金を
隠そうともせず
「ハハハハハ」
何故か いつも笑ってくれる

『富田 笑いすぎや!』
 
『おーいノートを取らんか!
ノートは言わせない!』

『釘宮 ノートは?』

今日もノートを忘れて
釘宮照れ笑い 

夏休み キャノンでの研修
居眠りしてて
引率教師から報告受けた担任から
こっぴどく叱られた釘宮

気合を入れようと
頭丸めたんじゃ ないの?

僕は 冷ややかな眼で
釘宮を 見る
『ノーとは言わせない』

二十分後
集中力の切れた生徒達
財布から
マックの割引券 ジョイフルのドリンク券を
取り出して
ざわざわ がさがさ

あげくの果てには
トイレは授業中に行くもの と
思ってる佐々木が
「先生!トイレ!」
『佐々木!ガマンできないのか?』
「先生、お願い!」
『しゃあねえな。行っといれ』

隣を見ると
藤本『寝ちょーん!』
藤本 ビクッとして 起きる

僕は 工業科で 家具の作り方などを
教えてる
男子ばっかの授業しか
したことがない
ちびまるこちゃんの先生みたいに
「石川さん」「富田さん」
「釘宮さん」「佐々木さん」「藤本さん」と
言ったことがない

三組の渡辺
日曜日、自転車の二人乗りをしていて

チャーリオ♪
チャリオは 車の 前走る♪
チャリーオ♪
チャリオは 二人乗り♪

僕に冷やかされ

『チャリオ』 と
呼ばれるようになった

こんな生徒達から
僕は『オワッチョ先生』と呼ばれる

先生らしくない言葉遣い
オワッチョ ギャグ
眼(まなこ)を思いっきり開いて
ムキになってる

こんな僕に 生徒達は
『ウルセーバーカ』を
求める

初体験

初めてブログを作りました。妻の力をかりまくって!
初めてなのに、一杯?書き込んでしまった。
明日は、創立記念日でお休みですが、
今12時、ねむたーい☆
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