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ひばりヶ丘

 僕が自転車をえっちらとこいで帰ると、友人の良夫の女が、良夫の自慢の七ハンの荷台に、セーラー服のスカートを足首までたらして、横向きにちょこんと座っていました。僕は近眼の眼を思いっきり見開いて、彼女のパーマの髪と瞳の上を塗りつぶしたアイシャドウに、とてつもない違和感を覚えます。
 「コニャニャチワ。今、お帰り。優等生はつらいわねぇ」と、親しみと皮肉を、彼女は僕に浴びせます。僕は「こんにちは」だけで
通り過ぎて、十字路の斜めの角の真っ青なコンクリート瓦と、やけに高いテレビのアンテナだけが目立つ、クリーム色のモルタル造りの自分の家にに、自転車を入れようとしました。すると国道に続く前方の道から、真っ赤なジャンパーのジッパーを締めながら、小走りに駆けてくる良夫の大きな体が迫ってきま

す。僕は驚いて、CB七ハンの前で自転車を止めます。
 「やあ、久しぶりだなあ、最近ご無沙汰じゃないか?勉強忙しいのかい?」
 と、良夫が人懐っこい微笑を満面に浮かべながら、僕に向かって、話かけます。
 「まあな、かったるいんだけど、実力やら期末やらで、ちょっと絞られているんだ。今まで、柔道ばっかやってて、何も勉強してなかったから。大変だよ」
 と、僕はけだるそうに話します。
 僕と良夫は、幼な馴染みです。僕はこの市の公立の小学校に通い、良夫は、教育熱心な良夫の母の勧めで、公立ですが隣の市の小学校に通いました。僕は、小学校卒業後もこの市の公立の中学校を卒業して、都立の普通科高校に通う、平凡な少年時代を送っていました。
良夫はといえば、中学校も高校も都心の私立に通っていました。近所に友達といえば、僕位しかいませんでした。
 お互いが小学校に入学するまでは、お互いの家が百メートルと離れていないこともあって、毎日一緒に遊んでいました。僕の家から道ひとつ隔てた平屋建てでコンクリート作りの都営住宅の広場で、朝から日が暮れるまで缶けりや独楽回しをして、遊んでいました。
 小学校に入学すると、僕らは別々の友達を見つけました。僕は新しくできた友達と、毎日土と戯れ、良夫は通学のために利用するバスの窓越しに眺めるにぎやかな商店街の風景と、毎日戯れていました。
 中学校の頃の良夫のことは、ほとんど知りません。ただ、毎日僕らの市の駅から、ピンクのボディーに真っ赤なラインの入るとんびの顔のような私鉄電車で、山手線の方に出て行っているのを、知っているだけでした。
 小学校中学校の九年間、ほとんど話した事がなかった僕らが、再び付き合うようになったのは、良夫が七ハンを買った時からでした。
 高校二年に進級した四月、ガールフレンドの明子を誘って高校に行こうと、いつものように国道沿いの良夫の家の前を通ると、良夫の家の前にパープルカラーのボディを、朝のシャープな光に照らして、まばゆいばかりにキラキラと輝いているホンダのCB 七ハンの
勇ましい姿を見たのでした。
 僕は一週間程前にこの市の駅前商店街で見た、服は真っ黒な革ジャンとだぼだぼの白のズボンで、髪はサイドにバックさせてパーマまでかけたリーゼントで、ばっちり決めた良夫の姿を思い出していました。七ハンを見たときは、羨望と、僕とは違う世界のことだと隔たりを感じました。
 僕の高校は、東京都の練馬区にある伸び伸びした明るい雰囲気の高校でした。僕がこの高校に入学する数年前までは、同じ都立のA
高校で勃発した学生運動の波が、この静かな
高校にも押し寄せました。学習面は勿論、生活面まで点数付けして生徒を縛っていた高校のやり方に不満な生徒が、教室に先生を入らせないように、扉や窓を机や椅子のバリケードで塞いだと数学の老先生が、昔をしみじみ振り返っていました。僕が入学した頃は、誰もが一体となった激しいものは無くなって、自由な雰囲気だけが、流れていました。
 その高校での僕は、家から二十五分もの道程を、近所に住むガールフレンドの明子を誘って、えっちらこと自転車を漕いで、遅刻寸前に学校に着き、のんべんだらりと授業を受けていました。放課後は、体育館で柔道の練習に汗を流し、疲れた足をだるそうにペダルにかけて、自転車をえっちらこと漕いで、七時ちょっと過ぎて帰宅するという基本的な生活を送っていました。
 いつものように七時をわずか過ぎて帰宅した後、夕飯をおわん三杯食べて、風呂に入って八時過ぎに建て増しした四畳の続き間を控える合計八畳半のただ広い部屋に落ち着きます。さて、明日の英語の予習をしようと、机の前に座って辞書を開いて五つばかり単語を引いていますと、外でオートバイの爆音がして、その後すぐ四,五人の話し声が聞こえて来るではありませんか。
 「自分とは関係ない」と思いつつ、オートバイの爆音に勉強の気が散って少し腹立だしく思い、オートバイに少年らしい興味が湧きました。それで、いつもは夏の蒸し暑い時しかめったに開けたことが無く、特に勉強中はめったに外の景色を見たり、空気を入れ換えたりするために、開けたことがない道路に面する曇りガラスを少し開けて、外を窺いました。
 窓の十五センチの隙間を通して眼に入った光景は、五00CCのオートバイ二台と、見たことのあるホンダの七ハンと、ピンクや赤のジャンパーや、黒の革ジャンを着た僕と同年齢位の四人の少年達でした。
 「僕の家の前で、少年達が今にも爆発しそうなオートバイを止めて、煙草を吸って、何か大声で話している」
 僕はとても不思議な気持ちと、逆に自分と違った種類の人間達を知りたいという気持ちが入り混じって複雑でした。持っていた0.5ミリのシャーペンを、彫刻刀で努力と彫った薄ぼけた机に転がして、彼らを僕が観察している事を気づかれないようにと、窓の隙間を五センチほどになるまで閉めて、彼らを見つめたのでした。
 僕がオートバイに初めて触れたのは、僕の高校の剣道部主将の吉田さんが高校で許されていないのにもかかわらず、高校に乗って来た二ハンでした。放課後、吉田さんから借りた二ハンを柔道部主将の佐藤さんが、高校の玄関前で急発進させて塀に向かって直進。二ハンの全部は大破、塀もへこみ、佐藤さんは受身を取ったので頭は打ちませんでしたが、
右手を強打して骨折。救急車が来るは、部活や補習中の生徒は騒ぐは、先生達は顔青ざめているはで、大変でした。
 吉田さんの他に高校に内緒で、オートバイに乗っている生徒は何人かいます。但し、自転車や徒歩でけだるそうに通学する僕らを横目に、彼らが鼻高々と走らせているバイクは
五0CCのダックスか、せいぜい二ハンでした。
 初めてまじかに見た五00CC以上のオートバイの重たいエンジン音を聞くと、僕は胸が高鳴りました。勉強と柔道以外の事には醒めていた心が、いつしか少しずつ熱くなり、
すぐに下りて、大きなバイクを触ってみたいという気持ちにかられました。しかし、自分と一緒の世界ではない人の前に自分を立たせることは、恥ずかしがり屋で人見知りする僕のこと、とうていかなわぬことと、その思いはすぐに醒めてしましました。
 オートバイへの憧れの気持ちを抱きながら
さっきから気になっていた七ハンの持ち主が
暗くて顔がよく分からないながら、がっちりした体つきと、ワンオクターブ高い話し声から、良夫だと分かりました。
 良夫、小学校は隣の市に越境入学、将来は慶応に行きたいと言っていた。小学校四年生の夏休みに入ってすぐ、良夫の家の前でばったり会った時、一学期の成績は五が四つもあったと自信たっぷりだった良夫。中学校は山の手沿線の私立に行き、角ばった学生帽を目深に被り、濃紺の学ランのボタン代わりのファスナーと詰襟をびしっと閉めて、いかにも優等生らしく胸を張って、日が沈んだ頃、ひばりヶ丘駅から大股で家路に急いでいた良夫
駅前の本屋で、漫画の立ち読みをしていた僕は、そんな自信たっぷりの良夫に声を掛ける勇気がなく、ながめているが精一杯でした。
 その良夫が、高校に進学したら、あんなに
変わったのか。同じ学園の高等部に進学したと、噂で聞いていたのに。ちょっぴり反射神経が鈍い僕よりも、もっと運動神経が鈍くて
お袋さんや親父さんの期待を一心に集めて、
甘えるだけ甘えて、勉強ばっかりしているという噂だった一人っ子の気の弱い良夫。そんな良夫が、いかにも不良の彼らのリーダー的
存在で、免許を取っても乗りこなすのが難しい七ハンを、先頭きって山手線に向けて走らせている姿が、眼に浮かびました。
「おーい!修!降りて来いよ!」と、良夫が自分部屋から彼らを覗いているのに気づき
大きな声で、僕を呼びました。
「やぁ今晩は」僕は気恥ずかしさで、顔を真っ赤にゆがめながら、ぎこちなく彼らに手を振りました。
 「おーい、さっきからこっちを見ていただろう。分かっていたんだぞ。まあ、とにかく
ちょっと降りて来いよ」と、ずーと会っていなかったのに、いつもあっているかのように、優しさのこもった言葉を、良夫は僕に贈ります。
 「うん、わかった」と、僕はそれだけ伝えると、重たい腰を上げて八畳半の細長い部屋を出て、階段を下りました。
台所で母が「さっきからあなたを呼んでいたのは誰なの」と、けげんな顔で、僕に尋ねます。
「うん、友達」と、しかめっ面をして、僕は玄関を出ていこうとします。
「こんなに夜遅く、どこに行くの?」と、母が再び僕に尋ねます。
「いや、ちょっと散歩」と、僕はぶっきらぼうに、母に弁解します。
「あんまり、おかしな人と付き合わないでね」と、外で良夫が待っているのを察しているような母の心配気な声を、背中でひしひしと感じながらも、すばやくサンダル履いて、玄関の外に出ました。
「やあ、久しぶりだなあ」良夫が、にこにこと僕に話しかけます。
「うん、まあな」と僕はぶっきらぼうに、言葉を返します。
「優等生は、勉強が忙しいんだろう?」と、この間までは優等生だった!良夫が、皮肉たっぷりの言葉を僕に浴びせます。
「俺、そんな優等生じゃないよ」
「嘘つけ!中三の頃からお前の部屋は、七時過ぎから電気が灯りっぱなしだって、みんな言ってるぜ」
「電気点いているからって、勉強してるって限らないんだぜ。そんな事より、お前この七ハン手に入れたのか?」
「うん、そうだよ。バイトして半分親から出してもらって、買ったんだ」
「すげえなあ!ちょっと触っていいか?」「いいよ」
「俺、今までこんな大っきいの触ったの
初めてだ。すげえなぁ!」
「そうか、今からこいつらとひとっ走りしようかと言ってたんだ。よかったら、こいつの後ろに乗らないかい?」
「今からかい、どうしようかなあ。興味あるけれど:::。やっぱり、よすよ」
「お袋さんとおやっさんが、うるさいんだろう?」
「そうじゃないけど、明日、柔道の朝練習なんだ!」
「本当かよ、まあいいや。今度、昼間あった
時、乗せてやっからさ」
「うん、頼むよ」
「それじゃあな」
「それじゃ」
「みんな行くぞ」
と言うが早いか、良夫は真っ赤なヘルメット
を被って、アクセルを思い切りふかして、ドドドーと空ぶかしをして、闇に消えて行きました。その後に、二台のオートバイが、続いて爆音を立てて、良夫の後を追いかけて行きました。
 その夜、良夫が夜の闇に向かって牙をむいて、七ハンの上に跨っている姿を、僕は夢の中で見ました。
 翌日、いつものように学生カバンと、柔道着を後ろの荷台に積んだ自転車を、朝の爽やかさに挨拶することも無く、眠たい眼をとろんとさせて、けだるく漕いでいました。途中
僕とは違って陽気な明子を迎えに行って、高校に着きました。
 一時限英語、二時限目世界史、三時限目数学と、のんべんだらりと授業が過ぎて行きます。
 しかし4時限目の現代国語は、いつもと違っていました。いつもは小林秀雄の評論や、
中島敦の山月記を読んで、先生がそれに解説めいたことを言っていました。僕らは「おもしろいなぁ」位の感情しかわかず、深く感銘したり、作品をもっと読もうなんて気にもなれませんでした。先生が黒板に、解説やら段落分けした所の板書する時を見計らって、友達と女のことやらパチンコのことやらを、話している始末でした。しかしその日は、丁度
詩を勉強することになって、萩原朔太郎の「
竹とその哀傷」を読むことになりました。

   竹とその哀傷

   地面の底の病気の顔

 地面の底に顔があらはれ、
 さみしい病人の顔があらわれ。

 地面の底のくらやみに、
 うらうら草の茎が萌えそめ、
 鼠の巣が萌えそめ、
 単にこんがらかっている、
 かずしれぬ髪の毛がふるえ出し、
 冬至のころの、
 さびしい病気の地面から、
 ほぞい青竹の根が生えそめ、
 はえそめ、
 それがじつにあはれふかくみえ、
 けぶれるごとくに視え、
 じつに、じつに、あはれふかげに視え。

 地面の底のくらやみに、 
 さみしい病人の顔があらはれ。

 その頃まで文学オンチだった僕でしたが、この詩の異様な暗さに大変惹きつけられました。冬をまじかに迎えた肌寒いこの時期。やがて冬になれば、自分の顔もこんな風に「さみしい病人の顔」になってしまうのではないかという被害妄想的な、考えも浮かびました
 その日の放課後、いつものように部活を終えて帰宅する際、萩原朔太郎の作品にもっと
触れてみたいという欲求がつのりました。そして帰宅途中にある教育大のグランドの前の
ちっぽけな本屋に入り、久しぶりに参考書以外の本を、買いました。
 三百三十円で手に入れた日本詩人全集十四
の萩原朔太郎の詩集を、翌日が勤労感謝の日で休みであったこともあって、いつもは英語と数学の予習のために向かう机に、朔太郎の詩を、一編一編並べていきました。
 「月に吠える」の全詩集を読み終えた時、
そのすごい感動は勿論でしたが、何故かしら
あの晩見た七ハンに乗る良夫を思い出しました。
 そりゃあ僕だって、さびしい人格です。でも、僕は月には吠えない。僕はあきらめて、
父と母の教育が自然と敷いたレールの上を、
走るだけです。しかし良夫はーーー。
 萩原朔太郎の詩を読んでから、僕は少し文学の方に自分を傾けて、行きました。僕らの頃高校生は、受験一途か適当にロックやフォークもやるか、それとも煙草かシンナー吸って、オートバイ転がして暴走族になるか?それ位しかありませんでした。明るくてそれでいて陰湿で、どんなに一生懸命の輩でも、一日に一回は「かったるい」と、つぶやいたも
のでした。
 こういった雰囲気に呑まれることなく、僕は詩を書くことに熱中しました。受験勉強も一応やっていましたが、常に「みんなと違うんだ!」という強い気持ちで、生活していました。柔道は三年生になると、ぷっつりとやめてしまいました。一時、文芸部を作り、朔太郎のことを教えてくれた国語の若い先生に
顧問になってもらって、朔太郎論や中也論を
高校生活最後の文化祭に、出したりしました
 良夫はといえば、二年生の終わりの寒い季節に、七ハンと彼の女とともに、二、三度見ましたが、三年生になると家にいないのか、彼の七ハンも姿を消してしまいました。
 そして僕も、いい加減、詩ばかり考えたり作ったりすることが、時間的に無理な状況に
なりました。「でる単」や「大学への数学」
に、いやがおうでもつきあわざるおえなくなった十二月中旬、五時に帰宅して少し仮眠して、夕食をとって、風呂に入って、いつものように机に向かっていますと。下の茶の間から大学に行ってる姉が「修!ちょっと下りて
来なさいよ。良夫君がテレビに出ているよ!
」と叫びます。
 え!っと僕は思わず声を出しました。いつもは一回位呼ばれても、「ちょっと待って!
」と勉強のきりがつくまでは、下りて行かないのに、その時ばかりはシャープペンシルを
持つ手が妙にこわばりました。「どうしたんだ?」と困惑して、開いていた「大学への数学」をはったらかして、急いで下りました。
 テレビのブラウン管には、間違いなく真っ赤なジャンパーを着た良夫を含めた七、八人のリーゼントの少年達が、カメラに向かって
愛想を振りまいて、「最高!」と大声を張り上げていました。彼らの周りを走るオートバイや、車体を思いっきり下げて、幅広タイヤを履かせた車を見ても、暴走族の実態の報道であることが、分かりました。
 テレビの字幕には「牛若丸」と出ていました。「牛若丸」という名前は、僕の通う平凡な高校の二ハンライダー達が話していた記憶では、悪名高きレッドエンペラーの弟分で、
山手線沿線を縄張りにしているとのことでした。良夫が少年達の名前を呼び捨てにして、
何かと命じている姿を見て、「良夫がリーダーなんだ!」と、僕は思いました。
「ここずーっと、良夫君のこと見ないな?
と思ったら、やっぱり暴走族だったんだね。
それもリーダーなんてね。お父さんお母さんは、とても心配しているだろうに」と、僕の母がやるせなくて辛いような、言葉を発します。
 僕が「ここはどこ?」と聞くと、姉が「新宿西口よ」と、無愛想に教えてくれました。そして「ひどいもんね。修が、こんな風になっていたら、私、大学で友達に会わせる顔が
ないわ!」と言った後、僕の顔をまじまじと見詰めて、安心しきった溜息をつきます。
「修は、これでも?結構真面目だもの。優しいから、私達が心配するようなことは、しないわよ」と、母も良夫と僕を比べて、「僕へのお願いと自分を安心させたい」そんな思いの言葉を、発します。
 普段は「お前は朝何回言っても、すぐに起きようとしない!」とか「髭も剃らないで、
だらしがないんだから!」と、母は僕の顔を見る度に、ぼやいています。
 僕も普段は「大学受験ラジオ講座」の終了の時間の十二時半になると、途端に眠たくなって、「もう少し勉強しなければ」と思っても睡魔に負けて、歯も磨かないままベッドに
倒れこんでいました。しかしその夜は「ニュースセンター九時」の良夫の顔が忘れられず
ラジオ講座が終わっても、すぐには眠くなりませんでした。それじゃラジオ講座の復習でもしようと思って、空気の入れ替えのために
窓を思いっきり開けると、今日は十五夜だったのか真ん丸い月が、僕を見詰めていました
 真ん丸い月と窓の下の電灯に照らされた路上を見るうちに、さっきのことのように良夫の姿がはっきりと眼の前に浮かびました。
そして、何故かしら瞳に熱いものが、こみあげて来ました。
それを、青春だ!と言ってしまえば、言えなくはないが、溌剌とした青春からは、あまりにも遠過ぎる。慶応に入ると無邪気な顔を
して言ってた良夫が、高校では札付きのワル
というレッテルを貼られている。優しくて穏やかだった良夫が、暴走族のリーダーにまで
なってしまい、一般の道路を我が物顔で走りまくり、交通を滅茶苦茶にしている。これが
青春だ!と思い込み、バイクを飛ばすことだけに存在感を求めている。僕と同世代で、人に迷惑掛けながら生きている良夫達の姿に、
やるせない、とてつもない悲しみを感じました
「さびしい人格の病人が、月に吠えている」
だけなのかもしれないと、僕はその日の日記に、書き記しました。
 その翌日から、僕は完全に、受験だけの人間になりました。それまでは、土曜日の午後は、ガールフレンドの明子と、山手線の方に行って、映画を見たりしていました。僕と同様、受験生の明子も勉強が忙しくなり、お互い放課後は、自室に引きこもって、勉強に勤しむという毎日を送りました。
 僕は最初文学部に進もうと思っていました
そのことを父も姉も早く帰宅して、久しぶりに家族五人が全員そろった夕食のテーブルで
ぽつりともらしました。すると、いつもは温厚な父が、「お前は、文学部なんかに入ってどうするんだ?文学部出たって、まともに飯なんか喰えないんだぞ!」と顔を真っ赤にして、えらい剣幕で、怒られました。
 父に叱責されようと、文学部への思いは募るばかりでいたが、良夫の姿をテレビで見て
から、気持ちが大きく変わりました。文学部に入って、高校の延長のように「さびしい人格をもてあます」ことが、嫌になりました。
そして、父のように公認会計士になることを
決意して、商学部を受験することにしました
 僕にとっては、長くて機械的な冬も終わりに近づいたある日。慶応商学部合格者の中に
僕の受験番号を見つけることが、出来ました
「まさか受かるとは思っていなかったのに、
受かったことは、とてもうれしい。でも、落ちても良かったんだ!俺が慶応に行って、なんになる?」と、僕は日記に記しました。
 高校を卒業してから三年、僕は公認会計士受験のゼミに入り、山手線の内側で適当にナンパもして、学生生活を送っていました。あの日から、僕は良夫の姿を見ることは、もう
ないんだろうなと思っていました。
 しかし、運命ってものは皮肉なものです。
僕が慶応に入って二年目、商学ばかり勉強することに嫌気がさして、文学部の連中と、詩の同人雑誌を作って、自分の気持ちを癒していた頃。再び魂の寂しさを感じ、「人生って何だろう」という気持ちが募り、夜の歌舞伎町を徘徊していた時でした。したたかに酔っ払ってしまって、いつもはかわしている呼び込みに、あっさりと捕まってしまいました。
女を三人もあてがわれて、三、四十分遊んだ後七万五千円と書かれた請求書を、突きつけられました。僕はすぐに酔いが醒めて、逃げ足鋭く階段を駆け下りて、歌舞伎町を走りまくりました。しかし駅前に止まっているタクシーに、後一歩で乗り込もうとしたとき、チンピラ風の男たちに捕まってしまいました。
「この野郎!なめやがって!」と、男たちは
僕をボコボコニにしました。顔を眼鏡が飛ぶほど殴られ、腹を思いっきり蹴られて、血の混ざったゲロを吐いてはいつくばって彼らたちに、ぼんやり視線を向けたとき、僕は良夫の姿を確認しました。
「良夫、良夫じゃないか?」僕は残っている
力を振り絞って、必死に呼びかけました。
「え、修か?」良夫は、目を思いっきりまん丸にして、聞き返しました。
「あー。」僕は気が遠くなりかけながら、最後の力を振り絞って、言葉を返しました。
 その後、気を失ってしまった僕は、七万五千円請求したボッタクリサロンに勤める女の
アパートのベッドで、翌日の昼過ぎまで、眠ってしまいました。ようやくアルコールも抜けて眼覚めた僕は、全身の激しい痛みに涙が出そうになりました。ただし、誰がしてくれたのか包帯やら絆創膏やらで、きちんと治療をしてくれていて、幸いにも顔の出血等は、止まっていました。
 眼が覚めたとき、いかにも女の部屋らしいきちんと整理された部屋を、近眼の瞳で眺めていました。二間続きのアパートのようで、
隣の部屋で煙草を吸いながら、テレビをぼけっと見ているジーパン姿の女に、「ここは、
何処?」と、僕は尋ねました。
「昨夜のことは、憶えているの?」
女は、逆に僕に質問しました。
「あー、新宿でチンピラにボコボコにされたんだ!あーそうだ!良夫はどうしたんだ?」
「やっぱり、憶えていたのね。ここはね。昨夜あなたが入った店に勤めている私の部屋。
ボコボコにしたのは、七万五千円の会計払わなかったあなたが、悪いのよ。もしもこのことを、人にしゃべったり、万一ポリさんの所に駆け込んだりしたら、慶応のアンタは、怖いお兄さんに、将来をガタガタにされちゃうからね。ねぇ、わかった!」
「あー?」
「本当に、約束して頂戴ね。あなたがあんまり意地張って、訴えたりすると、私、とっても見てられないわ。あの人達ったら、自分に都合の悪い人間なら殺しても構わないと、思っているんだから」
「うーん、約束するよ。これ以上、怖い眼に
会うのは嫌だからね」
「それならいいけど。あーそう、七万五千円の支払いは、あなたの体に免じて、もういいからね。はっきり言って、不景気だからって
あの人達、学生さんに、あんな金額突きつけるなんて、滅茶苦茶なんだから」
「その話は、もういいよ。それより、良夫は
どうしたんだ?良夫は、あのお店に勤めているのか?」
「ヨッチャン!そう、あの人はあの店の、サブマネージャーよ。ヨッチャンとは、もう会わない方がいいわよ。ヨッチャンと関わりあってると、あなたやばくなるよ!」
「え、でも、一度会って話しても、いいだろう?俺、高校の時から、あいつの事、気になっていたんだ!あいつ、俺の家の近所にすんでいたんだけど、あいつ、高三の時、家出して、暴走族に入っているのを、テレビで見たのが、最後だったんだ!」
「あなたが、幼馴染に会いたい気持ちは、分かるわ。でもね、ヨッチャンだって、もうあなたと会いたくないと、言ってるし。違う世界の人だと思って、あきらめるのね」
 そう言って、いくら聞いても良夫の住所や
電話番号を、彼女は教えてくれませんでした
「やっぱり、洟垂れ小僧の頃だけの、友達だったんだ!」と、僕は自分に言い聞かせ、彼女のアパートを出て行きました。
 良夫に会おうと思えば、歌舞伎町のあの店に、殴られるの覚悟で、再び行けばよかったのです。しかし、あの夜、したたか酔っていたので、飲み屋だらけの歌舞伎町のどこだったのか?おぼろげな記憶しか思い出せませんでした。歌舞伎町の聞き込みをすれば、よかったのかもしれません。しかし良夫の女が口にした「違う世界の人」という言葉が、頭に
こびりついていました。「会って、どうするんだ?何を話すんだ?」という気持ちも、もたげ、もう会わないことを、決めました。
 その後、新宿に行くことも、ほとんどなく
無くなりました。そして良夫と育った「ひばりヶ丘」から池袋へ、そして慶応のキャンパスへと。勉強とガールフレンドとのセックスに耽る毎日を、過ごしていました。心の渇きにも、鈍感になった頃、僕は慶応を卒業して
ひとり暮らしをするために、「ひばりヶ丘」
を、離れました。
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